愛華みれについての説明・解説する

十日市という川向かいの町はずれに借家住居していられたが、七つ、八つ位な可愛らしいお嬢さんを連れて路ばたで遊ばしていられるのを時々見た。そのお嬢さんも先生そっくりのおでこ だったが人形のように美しかった。
 もしこの先生ともっと深く触れ合い、また何か出来事でもからんで、先生の人間性のもっと全面にじかにぶっ突かるような事でもあったら、私もよ程大きな影響を受けたに相違なかった。しかし本意なくも先生は私が尾道から帰って、二度目の三年生の二学期からやり出した時には、もう学校を去ってしまわれていた。私は鶴が飛び立ってしまったような空虚さを感じた。その後先生にはお目にかかる機会もなく年月は過ぎてしまった。
 が私が二十七歳のとき、はからずも先生から「出家とその弟子」を読んだよろこびと、見舞いとのお手紙が届いた。私は昔を思って喜びとなつかしさにつつまれ、人生の不思議と人の心の感応とを思い、結局はひとつの生の悲しみ――運命の意識にとらえられて行くのであった。私はちっとも知らなかったが先生は東城という北備のとある城下町の浄土真宗の由緒ある寺の住職であったのであった。
 僧としての先生は清沢満之の流れを汲む浄土真宗の信者であったのだ。